伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話「あさり」が旨いです。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

「あさり」が旨い

「あさり」が旨い

少し前の頃(2001年)になるが、テレビのコマーシャルに登場した宣伝文がある。

あさりがいっぱい パスタがうまい
かけて食べれば パスタがうまい

あさりパスタ

たいへんよくできた歌の文旬なので、「あさり」の缶詰はこれによって沢山売れたことだろう。

しかし私はこの歌詞について、この当時少しこだわりを持たざるをえなかった。「あさりの缶詰」がすぐ簡単には食べられないのである。それにはもちろん理由がある。以下の文を読んだ人の中にも、私と同じようにこだわりが捨てられないようになって、「あさり」が食べられない人も出てくるのではないかと恐れて、しばらく控えていたのであるが、「もの言わぬは腹ふくるるわざ」などいう諺もあるから、あえて言ってしまう。

民話に「○○女房」という一連の民話群がある。「鶴女房」はその中でも有名で、だれにもよく知られている話である。人間以外の勤物が人間の生活の中に入りこんでくる。その動機のたいていは動物が人間に助けてもらつたことで、女に姿を変えて現れ、人間…大抵は貧しい農夫にお礼、つまり報恩をする。例えば「鶴女房」は羽を矢で射られた鶴が、矢を引き抜いて助けてもらったお礼に、女房となって農民に報恩ずる。

「あさり」の話は「蛤女房」というものに分類されている。鶴女房こ同じで、蛤が農民に肋けてもらったお礼に女に身を変えて、嫁にやってくる。「鶴女房」は自分の羽を抜いて美しい布を繊るが、「蛤女房」は料理を作る。その料理はとびぬけて無類に旨い。農民は毎度の食事に舌鼓をうって楽しみ、女房に感謝ずる。が、そのうち次第に女房に疑問を抱くようになる。女房はなぜ貧しい自分の家にやってきて、旨い食べ物を与え、食生活の幸福をもたらしてくれたのだろうか、またいったい女房はどうやって旨い料理を作るのだろうか、分からないことが多い。それでひそかに隠れて覗き見をする。こうして「のぞき見」は、多くの民話に変化をもたらし、平和な生活に破綻をもたらすモチーフとなつている。

農民がのぞき見しているとも知らず、女房は「擂鉢(すりばち)で味噌を摺ってからこれに跨がって中へちうちうと小便をした」(柳田国男「昔話こ文学」に拠る)

この民話はたいへん下品ではある(中には女が鍋の汁で尻を洗うとした話もある)が、堅苦しくなく、すごく上手にできている。かつまた話を聞く者にとっぴようしも ない笑いをもたらしている。蛤女房は農民のために自分の体内からエキスを絞りだして、極上の食味を作り出していたのである。そのうちこの女房も鶴女房のように、すこしずつやせ細って衰えていくのだろう。それでも自分を助けてくれた恩を献身的に返そうと努力するのである。もちろん農民はこうした民話の伝統に従って、驚いて女房を追い出してしまうのであるが、ここには人間が忘れかけていた純真で忠実な人間性の思いが残っている。

話をしてくれる人は大抵はかつて村々を回って歩く盲目の法師、座頭(「ぼさま」と言われた)で、こんな笑い話を最も上手にしてくれ、何の娯楽もなかった農村にたいそうな楽しみを与えてくれたのである。

しかし私がここでこだわるのは、民話の伝統ということである。蛤女房の民話の伝統はあさりのコマーシャルの中に今もなお隠れて生きている。缶詰のあさりをパスタにかける、こいうふうに現代風に変化してはきているけれど、ここには:紛れもない「かけて食べればうまい」というかつて農民を喜ばせた民話の伝統が残っている。民話の伝統は図らずも、そんなコマーシャルの宜伝歌の中に生き残って民話の伝統を復活させていたのである。コマーシャルの当事者はそのことをいくらかでも感じ取っていたであろうか。

人間ではない生物が身を変えて人間世界にやってきて、幸いをもたらしてくれるというのは、一昔前の貧しい人たちの持っていた素朴な信仰によるものである。それは人間も人間以外の動物も…もっといえば生命があるとはいえない風や水や光のようなものまで…同じように霊魂を持っているという霊魂信仰からきている。蛤女房は実はもとを正せば「水の霊」なのであった。テレビの画面では、「あさり」の蓋をぱくぱくさせて、「うまいよ、うまいよ」と煽っているように写していたけれど、そこには漫画に身を変えて生き残つた現代の「水の霊」への霊魂信仰が根強く息づいていたのである。

農民は姶女房を慌てて追い出してしまった。ただただ農民に尽くしたいという蛤の献身を人間はなぜ拒んだのだろうか。あわれな蛤と身勝手な人間の間には、ごうにも越えることのできない一線が画されてしまったような気がする。

(中世の「御伽草子」の中の「蛤の草紙」にこの民話が載つている。男が「母に孝なるが故に観世音菩薩に賞せられ、童男童女神が大蛤に姿をかへ来り嬢いだ」、 女は鶴女房と同じように衣を繊ったというか'ら、これでは全然面白くない。しか し民話ではなぜ蛤が貧しい農民に助けられ、嫁にきたのかという点は少しも重視されていない。)

女が尻がら食物を出して人に与えるこいうのは、実は決して偶然な考えではない。日本の神話にも同じようなものがある。スサノオが高天が原を追放されて後、オオゲツヒメ(日本書記ではウケモチノカミ)が鼻、口、尻から多くの食品を出して料理し、スサノオをもてなした。しかしスサノオはそのやり方に怒つて女を切り殺してしまった。スサノオは多分覗き見したのだろうと思われるが、その切り殺した身体の穴(目、鼻、耳、陰(ほと)、尻)から、蚕や稲などの五穀が生じたという。(古事記上巻)

この神詰は縄文時代から弥生時代にがけての古代人の、食物についての信仰を物語っている。オオゲツヒメこは食物の母体こなる女神であった。かつて人間に必要な食物等を生産する力を保持し、従事レたのは女性であった。

オオゲツヒメと同じような神話は世界の中にも見られる。ニューギニアの西方にあるセラム島には、ハイヌウェレという女性が尻から食器や財宝を出したという。ハイヌウェレはねたみを受けて殺されてしまうのだが、父親は娘の死を悼み、その死体をパラパラにして土に埋めた。その死体からヤム芋が生え、人々はこれを主食にして生活することができたというのである。ヤム芋の起源を示ず神話であるが、この神話は食品の生産力に対する信仰を現す点で、日本のオオゲツヒメの神話と共通した内容を持っている。

縄文のヴィーナス

長野県茅野市の尖石縄文遺跡の付近から出土した、いわゆる「縄文のヴィーナス」と称する土偶(国宝、約4500年前)は腹から尻にかけての部分が異常に膨らみ、女の生産力の偉大さを示している。古代人にとって女神オオゲツヒメとは、ギリシアのヴィーナスのように美しい女神ではなく、多分このような豊満な身体つきをもっていたのだろう。ギリシア神話の豊穣の女神アルテミスの胸には無数の乳房が付いており、縄文のウィーナスと同じく肥満したその神体はすばらしい多産の生産力を備えている。

(尖石遺跡に御神体として祭られていた三角形(神山の原形は三角形であった)の尖り石には、二条の彫り跡が付いている。これは多分石の矢じりに神の力を付けるよう、祈りが込められていたと思われる。)

土偶の中にはある点で、最初から破壊してばらまかれたと思われるものがある。どの土偶も、完全な形で出土してはいないのである。山梨県の釈迦堂遺跡(中央高速道脇脇)に数多く出土した土偶は、セラム島の神話と共通するかのように、初めから割られて、一部は縦穴住居の中に、他はあちこちにばらまかれて埋められていた(その顔のほとんどは可愛い赤子のそれであった)。埋められた赤子の土偶破片には、穀物の穂がそこから生まれてほしいという祈りがこめられていたであろう。ばらまかれた土偶への祈りは、死産が多く、生きて生まれても三人に二人は育たず、生きられたこしても三十歳位の平均寿命にしかならなかった当時の縄文人たちにとって、赤子の健全な誕生や成育と共に、穀物生産の豊穣を祈る、切なる顧いがこめられていたのではなかったろうか。豊穣の女神に祈るこうした古代人の生命への願いを、我々はいつまでも忘れてはなるまい。

縄文や弥生の古代人は植物と人間の神秘的な生産という事実に驚嘆し、そこに素朴な信仰を抱いた。われわれ現代人はこうした健康な信仰をそのまま受けついできたであろうが。ダイオキシン等に汚染された大地の環境や、地球温暖化等は果たして克服できるであろうか。海水もひどく汚染されているようであるが、そこに育つ「あさり」も昔のままではいられまい。農民が念願した旨いはずの「あさり」の缶詰には、変な添加物は入っていないだろうか。心理的な不安だけでなく、今は人工的な味付けまで吟味せざるを得ないような時代になっているのである。

2001/2/13

「あさりが旨い」文章の前後

「あさりが旨い」の文を書いたのは2001年の2月である。05年の3月に発表したこの随筆の背後には、種々現実的な問題があることに気付いたのは、同年の4月8日に報道された新聞記事によるものである。その記事とは、05年2月に輸入された北朝鮮産のアサリが、前年同月の1割に落ち込んだが、その理由とは1月からアサリの原産地表示が厳格化されたことによるのだという。日本輸入量の6割を占めていた北鮮産のアサリは、これによつて大打撃をうけるわけだが、「あさりが旨い」のコマーシャルを流した背景には、こうした北鮮からのアサリ輸入による缶詰産業がこの時(01年)はじめられた事情があったであろうという事が想像される。私の随筆の終りに、海岸の汚染が懸念されるという文章を乗せたが、やはりその懸念は現実の問題こなって浮上したことがこれによって分かる。日本産蛤が少なくなって、朝鮮産に取って変わられた次の危険が認められたわけたが、外国産に頼らさるをえない日本食品の偏りと共に、汚染された(日本海から打ち上げられた廃棄物の多さによって分かる)食品をも気付かずに受け入れていたらしい日本人の自覚のなさも、いまさらながら認識されるのである。

2005/4/8