土偶の役割り。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

土偶の役割り

土偶の役割り

茅野にある*尖(とが)り石考古博物館の付近から、有名な二つの*土偶が発掘され、考古館に展示されている。一つめの土偶は、かの有名な「縄文のヴィーナス」と称されている土偶である。ヴィーナスというと、われわれはギリシャ彫刻のミロのヴィーナスを想像してしまうが、この土偶はその名ほど美しいわけではなく、むしろはちきれるような豊満な胸と腰を持つ女神である。私は以前トルコのアナトリア博物館で、やはり目鼻をつけた赤子の顔が覗いている豊満な(アルテミス)地母神像を見たことがある。ギリシァの神話に出てくる女神のデイアナもこのアルテミス神と同じく、動植物を守る森の神、出産の神であった。

当時は、子供は生まれても、元気に育たずしてまもなく死んでしまう事が多く、たとえ生きられたとしても長生きすることが出来ず、平均寿命は三十歳ほどにしかならなかったという。古代人にとっては、動植物の生産と健康な発育は最大の念願であった。そこで人間をも含めた多くの動植物の出産と生育に深い祈りがこめられ、豊満な女性の地母神像が大地に埋められたのであろう。この像をよく見ると、丸顔で目がつり上がっていて、けっして優しい顔をしてはいない。むしろ厳しい肝っ玉母さんの性格を持っていたのではなかろうか。

二つめの土偶は「仮面土偶」といわれているもので、顎が尖った三角の仮面をかぶっている。地母神像と違って胸も腰も膨らんではいず、ただ両脚だけが異常に太い。女であることは、その印が付いていることで容易に分かる。これは仮面をかぶって神になりすました巫女が、大地をふみしめ、地中に潜み、そこから沸いてきて、生産を阻害する害虫を追放する役目を担ったのだと考えられる。害虫だけでなく、すべて人間社会に害毒を与える邪気…災いの元を絶つことを願ったのである。昔、女性の役割りはたいへんに大きかったことがこれで分かる。

現代の相撲取り力士が盛んに行う四股踏みのもとも、ここにあったと思われる。土俵は今女が上ることは許されていないが、昔は中年の巫女がそうした呪術を行ったのであろう。

仮面は神に変身するための道具である。三河、信濃、遠江の国境の村々で今も行われている霜月祭り(長野県南部では遠山祭り)には、大きな鉞(まさかり)を持ち、仮面をかぶった赤鬼青鬼が登場し、反閇(へんばい)を踏む。今は歌舞伎(勧進帳の弁慶)などで「へんべ」といっているが、これは大地を踏みしめる動作なのである。沖縄では仮面をかぶり、泥のついた海草を身にまとう神の現れる祭りが、今も行われている。

*尖り石・・・尖り石というのは考古館のすぐ近くにあり、一メートルくらいの大きさの三角岩で、この尖り石の周囲にも四本柱を建てて、神聖なものであることを表している。縄文人はその石の呪力を矢じりに移そうとして磨いていた。富士山は古代人が信仰する三角形の最も神聖な山である。蓼科山も、もと火山で「女(め)の神山」と言われていた。冷涼化した山内丸山縄文時代の後、地方に分散した縄文人の一部は、八ヶ岳の麓の森の尖り石付近に住み、蓼科山を拝みながら、木の実を取り、小動物の狩り(マンモス象は北海道以南には渡っていない。ナウマン象や大角鹿等の大型獣は、縄文人の狩りによって次第に絶滅してしまったと思われる)をして暮らしていたのである。

*土偶・・・粘土で作り、焼いた人形