イタリア旅行記2。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

イタリア旅行記2

イタリア旅行

2004/6/24〜イタリアに旅行した。以前10何年か前にも行ったことがあり、またボンベイ以南のイタリア南部とシチリアにも行っているので、これで三度目であった。

(1)観光客…アメリカの若者たち

斜塔で名高いピサのドゥオモ(大聖堂)は、白い大理石で出来ていて、たいへん綺麗だ。しかし入り口の外側の道端には、多くの黒人たちが店を出していて、何とか制限した方がよいのではないかと思った。鞄やサングラス、太鼓、黒人人形などの商品を屋台に吊してあるのはよいが、路上にじかに並べているのもあって、そんな状態では商売にもなるまいと思うが、けっこう旅行者にも声をかけていて、アメリカの若者たちが寄っている。日本人は黒人には馴染みが薄く、怖くて側によれないが、アメリカ人は慣れているのかもしれない。

白大理石の寺の外は緑の芝生が映えてとても美しい。本当は芝生の中に入って寝転び、下から、傾いた斜塔を見上げるのが一番楽しいのだが、芝生の囲いの中へ子供を放して写真を撮っているのは、外国人、特にこだわりのないアメリカ人の家族であろう。

アメリカの若者が特に多いのは、今、学校が長期休暇の時期に入っているからなのだろうか。背が高く、中には丸々と肥えて、雄偉な(といっていいほどの)豊胸を持った女性もけっこう目について、背の低いわれわれ日本人は圧倒されてしまう。彼等はすべて半袖、ノースリーブ、中には小さなシャツを着て、臍を出すのも厭わない女性がいる。大声で騒ぎ、ミラノのスフォルツェスコ城の前の噴水池に同級生を落とそうとして暴れている生徒をみかけた。指導者は居たのだろうが、とても規制出来そうにない。

暑い砂漠の国にいても、長袖、長スカートで、女性の顔を隠そうとするアラブ人の宗教生活や精神文化からは、こうしたアメリカ人の姿はほとんど耐えられぬのではないか。アラブ人はこんな観光地へ来たとしても、それは金持ちだけなのだろうが、そんな姿は全くみかけなかった。

若いアメリカ人のこうした傍若無人な姿には眉をひそめる。われわれ日本人でさえそう思うのだから、イラクでアメリカ人が感情的に嫌われるのは、ほとんどやむを得ないのではないかと思う。

日本は今ほとんど経済的な理由からアメリカに追随している。戦争中は鬼畜米栄と言ったこともあり、江戸時代は鎖国して外国人をほとんどよせつけなかった。鎖国の夢を覚ましてくれたことには感謝するが、アメリカのいくつかのごり押しを見る度に、このままでいいのかといつも思う。

(2)ローマ滅亡の原因

平安時代の貴族たちは野蛮な関東武家を「東(あずま)えびす」といって嫌った。だが貴族の風潮を貴んだ平家は、素朴な関東武士たちに結局は敗退してしまった。

いくら高い精神文化を誇っても、堅実で素朴な生活を維持する農民たちには勝てなかったのである。

ローマがなぜ滅んだかという理由も、全く同じことのように思える。繁栄したローマ人は豊かな生活を誇ったとしても、貧しくて堅実な生活のゴート人やガリヤ人には勝てなかったのである。

今回泊まったローマのホテルは、パラティーノの丘にあって、コロッセオがすぐ近くに建っていた。ここで働かされた剣闘士たちは、ローマが戦争で打ち負かした各地から連れてきた奴隷たちである。彼等はお互いに相手を倒すまで戦い、勝った者は観客から熱狂的な賞賛を受けるが、負ければ惨めな死にめにあう。挙句の果てにはライオンと戦わされるはめになった剣闘士たちは、こうしたみじめな環境から逃げ出し、ローマ軍はなかなか彼等を平定することが出来なかった。

奴隷たちを戦わせて楽しむ残酷なローマ人の心境は、現代人には到底受け入れられない。退廃的なローマ人の生活に、未来はなかったのだと思う。

(3)ヴェローナの落書き

ヴェローナで観光客はジュリエットの家に案内される。ガイドはヴェローナの銅像に触ると、もう一度幸福があると言ったり、そこに伸びた弦状の木にロメオが登って忍び込んだのだ、などと言って笑わせる。私は以前来た時から、これはシェークスピアが作った戯曲だから、もちろん嘘っぱちにすぎないと思っていた。

しかし今回はガイドがジュリエットの家の内部にまで案内し、もと帽子を作っていた職人の家の娘に貴族が愛を寄せた物語を、シェークスピアが剽窃(ひょうせつ)し、貴族同士の悲恋物語の戯曲にまで仕立て上げたのだと説明されて、ようやく納得がいった。

十数年前にヴェローナに来た時、ジュリエットの家への入り口の壁に書かれた落書きが極彩色で、私はその華麗さに驚き、「さすがはイタリア、落書きまで芸術的だ」と変な賛嘆をしたものだった。

今回またここへきて再び驚いた。華麗な落書きの壁の上に小さな紙が無数に貼ってあって署名がしてある。中へ進むとその紙は、背の届かないような高い所にまで貼ってあり、しかも紙以外の材料もある。カイドに聞くと、これはチュウインガムだとのことであった。同行の人は即座に、「アメリカ人がやったのよ」と断言した。彼等はガムを噛んでは、肩車をして高い所まで署名した紙を貼りつけ、旅行の記念にしたのである。かつて名所に落書きした日本人の悪習が報道され、我々はみな恥ずかしい思いをしたものであったが、今、恥を知らぬアメリカ人が大勢やってきて、昔我々がやった悪弊をまき散らしている。(追記 1)

わずか十数年の間にヴェローナにはそんな変化があった。そういえば、ヨーロッパは他の都会の家の壁にも落書きが多い。日本の駅や高速道路の壁にも真似している。これは初めてオートバイに乗った者の興奮した仕業なのだろう。しかしイタリアの観光省やユーロ各国は、これをどう見ているのだろうか。どうにもならぬと放っておくのだろうか。あるいはわざとそのままに見た目にさらしておくのだろうか。日本人としては放っておけぬ悪文化であると思うのだが……。

剽窃(ひょうせつ)・・・他人の詩歌、文章などの文句または説を盗み取って自分のものとして発表すること。

(四)綺麗な大寺院

これと対比的に、ドウォモ(大寺院)の大理石はすばらしく綺麗である。十数年前、私がミラノのドゥオモに入った時、内部は真っ暗であった。徐々に目が慣れてきて、高いステンドガラスから入る美しい光の素晴らしさに圧倒されたものだった。

その瞬間の私の偽らぬ感想としては、「明治の元勲たちも、ここへやってきた筈だ。そして私同様、あまりのカルチャーショックにうたれて、どうしていいか分からぬ程の圧倒と動転を経験したのではなかったか」ということであった。

今回、またこのドゥオモに入った時は、天井に明るい電灯がともっていて、前回感じたような感動はなかった。しかし床が明るく照らしだされ、色違いの大理石の模様の、凹み具合を明らかに見せていて、感心した。(赤大理石は白大理石よりも凹み程度が少なく、それだけ貴重であるという。)(追記 2)

イタリアの大寺院の大理石は綺麗だが、汚れがそれだけ目立つから、こまめに掃除しなければならない。消防ポンプで水を噴射しているのを何回もみかけたが、費用がかかって大変である。日本の寺や城は煤払い程度で済むから簡単でいいが、ヨーロッパの他の国の寺院などは大理石でないから、排気ガスですでに黒くすすけてしまっている。特にドイツでは第二次大戦で爆撃され、ひどく壊れて、再建するのも容易ではないのに、何十年かかっても再建しようとしている意気込みには頭が下がる。

ドイツを東西に分けた壁はようやく撤去することができたが、保存してある壁にはやはり無数の落書きがしてある。落書きは今や拒めぬ文化の一つの担い手になったのだろうか。しかし大寺院の大理石には落書きする者はいない。もし居たとしたら、アウトである。

(追記 1)ヴェローナには、ジュリエット宛ての手紙が年間 4、5000通も届き、その 8割は若い女性であるとのことだ。ここには年に 700万人の観光客が押し寄せる。市はそうした観光価値を見込んで、13世紀の古い建物を買取り、中世の帽子屋に仕立てた。世界中から押し寄せる、恋の成就と悩みを打ち明ける若者の願いは、なんと切ないことか。私は、市がそのために石壁の張り紙をあえて剥がさないでおくのがやっと分かったような気がした。

(追記 2)白大理石の華麗な建物としては、インドのタジマハールやアグラ城を思い出す。白大理石は色大理石より柔らかくて加工し易いそうであるが、インドのムガール帝国はこうした石の輸入と建築のために経済を傾け、タジマハールを作ったシャー・ジャーハンは皇子のオーラン・グゼーブに追放されてしまった。民衆の貧困とは遥かに隔絶したインド王の莫大な富と、こうした石の文化からは無関係であった日本の歴史の違いを、私たちはいまさらながらに思うのである。

2005/4/3