出雲と大和、桃太郎伝説。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛ける。2014年4月10日没

出雲と大和、桃太郎伝説

出雲と大和、桃太郎伝説

私は前の会報で、諏訪大社と出雲大社の違いがどこにあるかということについて、何も書かないできたが、この二つにははっきりした違いがあると思っている。古事記に載っている神話では、大国主の子になっているタケミナカタはひとり国譲りに反対し、大和天孫族軍のタケミカヅチと戦って敗れ、諏訪にまで逃げて行ったという。しかし私は諏訪に行った一族の人たちは、出雲とは別の土地からやってきた渡来人ではなかったかと思う。というのは、彼らは日本海を東行して信濃川を遡り、諏訪湖に到着してそこに安住の地を見出したであろう。彼らにとって湖水は忘れられぬ故郷の思い出があったのではないだろうか。諏訪大社はじめ諏訪神社系の支社や末社では、7年目ごとに社の周囲に四本の柱を山から切り出して建てる御柱祭を行うのが常である。氏子たちはその柱を地面に引きずり、坂落としをして.勇壮というよりは乱暴な移動の方法を取る。そして、河水に浮かべておく。他の系統の神社にはこんな風習はない。また出雲文化圏は四隅突出型墳丘墓(方墳の四隅を伸ばし、それを葺石で覆う方式。天孫族は後に前方後円型の墓を作った)の特徴を持っているが、諏訪には全くそんな特徴は見られない。タケミナカタが出雲族の出であるという神話は、後世の編集者の意図によるものではないだろうか。諏訪は当時大和からだいぶ隔たった奥地にあったが、渡来民にとってはまさに夢多き安宿(あすか)の地に見えたに違いない。

また私が日本古代史を学んで受けた大きな衝動の一つは、出雲政権が大和天孫族の圧力に屈して出雲に退去する歴史を持っていたことである。かつて出雲政権が勢力を維持していた範囲は、現在の出雲地方ばかりでなく、大和、吉備地方まで含んでいたらしい。大国主の国作りは私たちが思っていた以上の地方にまで及んでいたのである。耶馬台国の卑弥呼女王が亡くなった後、宗女のイヨ(トヨ)が後を継ぎ、その後百年以上の間争乱が続いたという。その争乱の詳しい内容は今はっきりと知ることができない。耶馬台国や卑弥呼について,記紀は何も書いていないからである。しかし北九州から攻め上ってきた神武天皇の天孫族軍は、同じ天孫の二ギハヤトを信奉する長脛彦軍と戦っていったん敗れたものの、熊野に迂回し、再び大和に侵入して他の豪族と連合政権を打ち建てることに成功する。その結果、出雲政権は無念の国譲りをして出雲に退居せざるを得なくなるのである。

桃太郎

以上が私の想像する日本古代の歴史である。魏志倭人伝に記された耶馬台国のその後の真実の姿は風土記などにより想像するよりほかないが、これを出雲政権勢力が失はれてゆく過程の中に位置づけてみると、理解できるのではないだろうか。耶馬台国を支えていたのは、物部氏、鴨氏、大三輪氏等出雲系の氏族で、耶馬台国は出雲系の氏族を中心とした連合政権であり、倭国争乱とはそうした出雲系と天孫族系との政権争いであったろうと推定する。

出雲政権を打ち破って国譲りに成功した天孫族は伊勢の太陽神を信仰しているが、伊勢神宮の建築様式をみると、広い間口を正面として、長い屋根の両端を棟持柱で支えていて,住居の形態にかなっている。ところが出雲大社では九本の柱が等間隔で四角の建物を支え、倉庫の建て方である。二つを比べてみると、はるかに伊勢神宮の方が進化した様式である。

さて、ここで桃太郎の伝説について考えてみたい。桃太郎の鬼退治の昔話は誰でもよく知っているが、記紀や地元の見方は全く違う。日本書紀などによると,崇神天皇の時に吉備の国(備前,備中地方。総社市を中心にして、岡山市から倉敷市あたりまでの瀬戸内海沿岸部)に百済から温羅という王子が飛来し、鬼の城に住み、人を襲ったので、大和王権は四道将軍の一人、吉備津彦を送って制圧させた。切られた鬼の首が泣き続けたので犬に食わせたが泣きやまない。それで骨を吉備津神社の釜の下に埋め、その霊を祭らせた。「うら」の霊は唸り声を立てて吉凶を知らせると告げた。これが吉備津神社の鳴釜神事や、桃太郎の鬼退治という昔話の元になっているというのである。

朝鮮式山城

地元からいえば、桃太郎は吉備の国の勢力を平定した権力者側の立場にあり、唸り声を立てる鬼とは、実は制圧された側の不幸を嘆く地元の心を象徴するものとなる。吉備地方はもと耶馬台国の政権の一部を担っていた(この地方に、いくつかの大きな前方後円墳が残っており、それはここにも豪族がいたことを示している)が、出雲政権と同じく、新しく勢力を伸ばしてきた天孫族に屈服した、という見方が出てくる。そしてここにも権力者を迎え、朝鮮工人たちを蔑視する感情も伺う事ができる。鬼というのは、高地に朝鮮式山城を築きあげた百済の工人達を指すのであろうか。もしそうであるならば、こんな遠い昔から、渡来してきた他民族を白い目で見る感情が働いていたことになる。桃太郎の昔話に登場する鬼とは、実は日本人が恐れた外来の異民族、或はこの地方にいたかつての豪族の存在を示すものではなかったろうか。桃太郎は別世界からやってくる悪者を退治するスーパーマンである。桃太郎に拍手する日本人の感情は、決してほめられるものではない。これからは宗教を異にする世界の民族とも、うまく付き合う方法を考えていくべきであろう。ことに百済からは多くの文化を受け取りながら、私たちの祖先は移民を鬼として排斥している。(付記)吉備津神社の鳴釜については、江戸時代に上田秋成の雨月物語中に、「吉備津の釜」という怪奇物語にも書かれている。

※記紀:(きき)古事記と日本書紀とを併せた略称
※長脛彦軍:長髄彦(ながすねひこ)は、日本神話に登場する人物で神武東征の時、大和地方で東征に抵抗した豪族の長
※朝鮮式山城(古代山城)→神籠石(こうごいし)

2013/4/25