伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「水上勉 雁の寺 読書感想」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛ける。2014年4月10日没

水上勉 雁の寺 読書感想

水上勉 雁の寺 読書感想

昭和三十六年の直木賞受賞作である。朝日新聞の「名作文学に見る家」に載った、孤峯庵の間取り図と解説に触発され、手元に置いた京都の地図を参考にしながら、私は京の寺で修行に励む主人公慈念の情念を思いやった。第一部孤峯庵の「雁の寺」で、慈念は憎しみの対象となった師の慈海をひそかに殺害してしまう。師とはいいながら、慈海は弟子に犠牲を強いながら酒と女に溺れる破戒僧なのである。第二部「雁の村」で慈念の出生の秘密が明らかにされていく。そして第三部「雁の森」の奇崇院でも、師の僧は女を寺に置き、兄弟子らは男色に耽るような、表裏の全く違う姿を見せる。最期に第四部の「雁の死」で、慈念は三重の塔の屋根から落ちて死ぬのであるが、それは宮大工の父親が足場を蹴ったためであり、慈念は父に殺されてしまうのである。慈念の故郷は若狭である。そこの阿弥陀堂で、父は頭のおくれた瞽女(ごぜ)のお菊を犯して、彼は生れた。背は低いのに頭の異常に大きい奇形児である。堂には慈念を無視する阿弥陀像が置かれている。

目を覆うような、父や師の僧や兄弟子たちの背徳の世界に囲まれて、それらがすべて仏道に励むべき師や兄弟子であることの不条理を、作者は見事に描いている。二十歳前の修行僧慈念が追い込まれて見たのは心の地獄であった。

孤峯庵の襖に描かれた雁は何だったのだろうか。それはこの世の人の諸行をみつめる作者の目でもあるような気がする。慈念は子供の雁を育む母親雁の絵を破り取って失踪するのであるが、それは母の愛を求めながら、否定せざるを得ない哀れな衝動からであった。その故郷は慈念を生んだ雁の村であり、慈念はその子雁でもあったのに、雁の育つ村はどろどろの世界であった。お菊は母を求めようとする慈念を、それと知らずに肉体的に迎え入れてしまうような女であった。慈念は母の村であるはずの故郷にも帰れず、修行の寺でも「生きる」ことができない。慈念にとって清らか世界はどこにもなかった。阿弥陀でさえも救ってはくれないのだ。

作者は恐ろしい世界を描いていると思う。