伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、カタクリを訪ねてです。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

かたくり

かたくり

「かたくり」は万葉集の中で、私が積極的な興味を持った最初の植物である。それは大伴家持が残した、万葉集中唯一つの和歌の中にあった。

もののふの八十(やそ)乙女らがくみまがふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花 (巻19 4143)

カタクリ

(大勢の娘たちが入り乱れて水を汲んでいる、寺の井戸のほとりのかたかごの花よ)という美しい歌の中に表された植物であり、当時私はまだこの花を知らずにいただけに、言い知れぬ興味の対象となった。私はこの植物を求めて、近郊の埼玉県に探しに行った。昭和40年代のその頃は、まだあちこちにこの植物が残存していたのである、その時の不思議な体験は、私の家内が書いた通りである。

「カタクリ」を訪ねて 〜その不思議な出会い〜 宇都木節子

私はこの植物が欲しくなり、同僚と共に再び訪れ、この時盗掘を警戒して守っていた子の目を盗んで、ひそかに根ごと2,3本持ち帰ったが、やがて花は3年目に咲かなくなりそのうち消えてしまった。しかし「かたくり粉」の元という意見にこだわり、どんな味がするのか知りたくて、ある人に話し、その故郷である群馬県の月夜野町の実家からその大きな葉をもらいうけ、茄でて食べてみた。それはホウレンソウに似た味がした。貴重な体験であった。この人の実家の周りでは、「かたくり」は蹴飛ばして歩くほど豊富であるということであった。葉は味わったがやはり「かたくり粉」になる球根そのものを食べてみたかった。しかし、それは土中深くもぐっており、柔らかい茎は折れやすく掘り取るのは難しく、これは植物学者の言っている通りであった。

私はその後、家持の歌の実地に行ってみることで、「かたくり」の歌の実体験に近づこうと思った。夏休み中かけて、家持が越中の国守であった時の歌の土地を尋ねる旅を試みた。それらの歌はほとんど歌碑となっていて、容易に見ることができたが、「かたかご」の歌の中の「寺井」の寺とはどこをさすのかはっきりわからない。

また家持の歌の中で「あしつき」(川海苔)、「つまま」(タブの木)等の植物の古い名が出ているのを知り、これらにも興味を持った。古典の学習では、できれば実際にこれらのものを見ることが必要である。「あしつき」はその後現地の人が再現したということを聞いた。

こうして、古文の中に出てくる植物への知識を持つことが大切な問題であることを強く再認識した。その意味で、「かたくり」が「こばいも」の古名であるという植物学者の説は、まさしくショッキングな事実であった。私は学問の深さに言いようのない「おそれ」と同時に深い感動を覚えた。