古墳のもと。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

古墳のもと

古墳のもと

日本の古代天皇の古墳(景行、仁徳天皇陵等)は不思議な内容に満ちている。前方後円墳というその形は世界に独特なもので比類をみないが、大きさからいってもピラミッドの規模を超えている。その理由はなぜか分からない。不思議な感じがする。

しかし日本にはその巨大古墳が出現する以前、縄文時代(後期)すでにもっと不思議な墳墓があった。それは秋田県鹿角市(かづのし)の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)等に代表される古代のストーン・サークル遺跡である。その環状列石の中心には大きな立石があり、それを調べたところ、特殊な組み石や、石の基部に付着していた成分などから見て、日時計ではなく、実は古代人の墓であることが分った。日本には巨大古墳の前に、すでに縄文時代からこのような墓の遺跡が存在していたのである。

私は以前、海外旅行で今もっとも行きたい所があるとすれば、それはイギリスやアイルランドだと書いたことがある。その理由の一つにストーン・ヘンジや環状列石がある。ストーン・ヘンジは2000年前の巨大な環状立石の遺跡であるが、それは冬至や夏至の日の入り、日の出を観測した天文観測所であり、イギリスの隣にあるアイルランド(ニューグレンジ)にいってみると、ここには古代人の大きな塚があり、夏至や冬至の太陽の光線が、入り口からその奥の墓に届くように作られている。その墓には古代を代表するような偉人の焼かれた骨が置かれ、日光がそれに到達することによって、古代人の魂が復活すると考えたようだ。古くからの世界の宗教によっても分かるように、人はそのまま消えて無くなってしまうとは思われなかった。魂の復活はこの世に生きた人間の永遠の願いであり、信仰でもある。環状列石の中心にも大きな立石があり、これはストーン・ヘンジよりももっと古い石器時代の墓であった。

イギリスでも日本でも同じことが考えられていた。よみがえりの信仰は遠い陸路や海路を伝わって、イギリスから日本に届けられたのではない。古代人が同じような考え方をしていたのである。

エジプトのピラミッドもイギリスと同じくその歴史は古い。それは何のために建てられたのか、いろいろな説があるが、ギゼーの大ピラミッドにはファラオの墓石があることはだれにでもよく知られている。

日本の縄文時代の人間だからといって、現代人よりずっと遅れていると考えられがちだが、けっしてそのようなことはなかった。しっかりとした思想や信仰を持って生きていたのである。このことは私たち現代人がよく覚えておくべきことではないだろうか。

2012/4/10