日本人の宗教観。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛ける。2014年4月10日没

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日本人の宗教観

日本人の宗教観

出雲大社

私たち日本人はどんな宗教を持っているだろうか。そのような質問をすれば、多くの人は仏教と答えるだろう。しかしそうはいっても信じているかどうかは別で、信じているのではない。葬式の時にお坊さんに頼んでお経をあげ、墓地に埋めてもらう。後は法要を頼むだけで簡単に済ましているのがほとんどである。寺は何らかの宗派に属しているが、各家は宗派と強い繋がりがあるわけではない。寺とは無縁の公共の霊園もある。中には強い信仰を求める宗教団体もあって、仏教行事に参加する信徒もいるが,多くの人は寺を利用するだけで深い関係はない。私などもその一人で、早くから寺と無関係の霊園に墓をたて、お坊さんに来て貰わなくても済むようにしている。そう考えると、私たちは寺や信仰とは関係なくてもよい、死んだ人との追憶にのみ心を向ければよいということになる。本当に死んだ人はお墓の中にはいないのである。風となってあの広い空を吹きわたっているかどうかは、今生きている人の心に任せよう。

こんな状態を外国と比べてみると、キリスト教圏では、旧教以外は子供が誕生した時に、教会で牧師さんに世話になることが加わるだけで、他は我々日本人と似た状態にある。しかしイスラム教徒の中には、一日何回も熱心にお祈りを捧げる信徒がいて、我々とは著しく宗教感情に差があるようだ。一神教である彼らは、多神教の日本人より進んだ状態にあるというが、日本人は宗教観において、本当に一神教より遅れた状態にあるのだろうか。

近代以前の日本人はもっと宗教との繋がりが強かった。戦乱などのために困難な生活をする人も多かったから、仏の慈悲に頼ろうとする心が強かった。しかし江戸時代には寺の地位も安定して、今は強い宗教心に頼る必要もなくなった。

江戸時代以前はもっと宗教との繋がりが強かったようだ。大昔の日本人は、万物には霊の働きがあると信じた。生命がないように見えても、動くもの例えば雨や風には霊の働きがあり,河水の動き等すべてに精霊が宿ると信じた。霊の名は「もの」であり、「もののけ」など霊の祟りを恐れた。中でも雷火、噴火は神の怒りを表すものとして恐れた。

聖ニコライ堂

聖ニコライ堂

仏教が蘇我氏によって伝えられた時、時の天皇は仏像を祭らせ、在来の「もの」を扱う神道側の物部氏と優劣を競わせた。もともと天皇は神道によって成立している筈であるから、これは少しおかしいが、それほど日本人は自分たちの宗教である神道を、大切なものとして自覚していなかったようである。

仏教以前、日本人は確かに神の宗教を持っていた。巨木、巨岩、または森厳な雰囲気の中に神霊が宿ると信じた。沖縄の「うたき」はその初期の宗教観である。しかし神はいつも人の望む所に来ているわけではないだろう。巨木,巨岩は神が来臨する場合の目標である。巨木は御神木として崇められ、巨岩のある所に拝所が置かれた。熊野の元宮と考えられる神倉神社、群馬の榛名山神社などには巨岩が見られる。奈良北部の三輪山は、古代の信仰を代表する偉大な神体山で、山頂近くには「岩くら」といわれる巨岩がごろごろしており,本殿はなくて登り口に拝殿があるだけである。長野の諏訪神社の場合は四方に「おん柱」と称する巨木をたて、出雲神とは別の神信仰のあったことを示している。神を祭る本殿の建物は初めから神社にあったわけではない。神座、本殿は佛殿建築に対抗するために建てられた建築物である。神はいつもは深山にいると信じられていたから、必要な時に来てもらう。神祭りを行う場合は神主が丁寧に祈るが、普通参詣の場合は神を呼び出さなければならない。賽銭箱の上にある大きな鈴が神に参詣者のあることを喚起する呼鈴である。呼び出された神は気の毒なくらいに忙しいだろう。しかし鈴を鳴らし柏手を打って神を呼び出す行為は、日本人の最も素朴で安易な信仰なのである。我々は気づかずにそれをやっている。

私はいつも思うのであるが、神は呼び出しに応じてその都度来てくれるかどうか解らないのではないだろうか。日本人の神信仰はその点で遅れていると思う。仏教が取り入れられたのも、こうした欠陥があったからではないか。

しかし神信仰の欠陥を放置したまま日本の宗教は進行していった。信仰する神仏にはどちらでもよく、庶民は頼れるものに頼って熱心に祈る者が多かった。それだけ救いを求める心が強かったのである。仏寺と神社とは違いがありながら、この二つの差は曖昧である。稲荷信仰は本来農業神であるが仏教のようにも感じられるが、実は素朴な神信仰である。商人も信仰して、油揚げや鳥居を盛んに寄進した。神宮寺というのはおかしな存在で、どちらにも通じるものがある。

このような混乱は正常な信仰とは言い難い。さすがに明治維新の時に神仏混淆が禁止され、仏像が神社から徹去されるという事態が起った。

仏塔と稲荷が合体

仏塔と稲荷が合体

今奈良、京都の寺や仏像の中には、すばらしい美術的価値が認められて、見学者が引きも切らない寺(例えば奈良桜井市の聖林寺)の例がある。しかし見学者は礼拝するというよりも鑑賞するのが普通であろう。信仰心はすでに薄くなっている。現状は神仏に対して形式的に頭を下げるだけの宗教に変っている。僧侶の中には、信仰とは無関係の莫大な入場料で儲けるという、商売に堕落した観光寺院もある。おかしいことにこの入場券は拝観券という名目で、収入税がかけられない状況になっている。一般人が葬礼の時にいちばん困惑するのは、お寺から莫大なお経や戒名の料金を要求されることである。仏教界はその事だけからも衰退し、今後民衆から離反されてゆく運命を免れない。

世界各地の宗教がすべてこのように変化したわけではないが、信仰心の変化という傾向だけは認めないわけにはいかない。今後人類にとって恐るべきは気候の急な変化、地震や津波、他界から侵入する惑星や隕石の被害であろう。人力によって食い止められればよいが、それができない場合はアウトである。人類もいつかは滅亡する運命を避けられない。今これを防ぐには神に祈るよりほかないだろうか。とすれば神信仰はいつまでたっても人類の脳裏から消えさることはないだろう。

私は常に不思議だと思う事がある。現在私たちが生まれ合わせた運命は、だれが決めたのだろうか。なぜ私たちはこの時期、この土地に日本人として生まれたのだろうか。それは偶然なのか。偶然としてもそこに神の手が働いていはしないか。その心はまだ神信仰に結びついているようにも思えるのである。

2013/3/27