伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「日本人を信じて」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

日本人を信じて

信用できる日本人

十月の半ば頃、自転車で園芸用の赤土を買いに、春日町のマツモトキヨシまででかけた。そこまではちょっと距離がある(約3q)が、坂がなくて、裏道を通れば車も少ないから安全なのである。15Kgと10Kgの二つ、自転車の後ろの荷台と前の荷袋に別けて乗せ、大丈夫運べると思ったら、とんでもなかった。荷物を乗せた途端に自転車が横に倒れた。そこに居た中年の人が起してくれて、乗らないで押してゆくよりほかないと忠告してくれた。若い時は平気だったのに、という記憶が災いして、もう若くはないのに、自分を買いかぶっていたのである。

自動車やバイク、自転車が前か後ろに来たら立ち止まってやり過ごし、そろそろと押して行った。しかしちょっと進む度に自転車はバランスを崩して真横に倒れ、ハンドルを握っていた身体も一緒に転んで不様にひっくり返った。しかし近くにいた若い人たちがすぐ駆け寄ってきて、自転車を助け起し、「だいじょうぶですか」と声をかけてくれた。その人たちは男女に限らず、とにかくすぐ助けに来てくれたのが嬉しかった。しかし一方では迷惑をかけたのが申し訳なくて、用心したのだが、七、八回は転んだろうか。家まであと一qくらいという所までたどり着いて、やはり転んで上唇の所を打ち付けてしまった。小さな公園で一休みし、もう駄目だから、家に電話してキャリーを持ってくるように連絡するか、タクシーを呼ぶかしようか、といってもこの自転車をどうするか、考え付かないでいるうちに、やはり頑張ってみようとまた押して行った。

しかし電信柱にもたせ掛けようとした途端にまた転んだ。中年の男の人が助け起してくれて、今度はみずから「ひっぱっていってやるよ」と言って、交替してくれた。私はあまりにも申し訳なくて、「もういいから」と断ったら、「なにかほうって置けないから」ということだった。あと一キロ近くという所まで来て、そこで私は荷物の一つを下して、駐車場の囲いの隅に置き、一つだけ荷台に積んで自転車に乗った。自転車は嘘みたいにすいすいと進んだ。早くそうすれば良かったのだが気付くのが遅かった。

家にたどりついて正直、ほっとした。もう一つの荷物を取りにいって、家に入り、妻に報告したら、馬鹿なことをしたと何回もたしなめられた。何回も転んであちらこちら打ち付けたのに、痛みは感じなかったのが不思議なくらいだったのが、風呂に入るとあちこちに皮下出血の跡が付いていた。翌日頭のてっぺんが痛んで、見てもらったらやはりぶつけた跡があり血が出ていた。それと鼻の下の部分に打ち傷を残していた。

今度の経験で、もう若くはないのに、年を取ったという自覚を欠いているのがいけなかった、という反省がしきりである。

それともう一つ、日本の若い人たちの心はすばらしい、捨てたもんじゃないとつくづく思った。最近の日本人、とくに若い人たちは悪い人が多くなった、凶悪犯が新聞面を賑わして、毎日いやなニュースばかり聞かされる。そんなことが多い中で、これは「救い」である。

日本の将来を信じて、明るく生きていくことができると思った。