入院の記(二)伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

入院の記(二)

入院の記(二)

【内視鏡】

内視鏡を使って結石を取り出せる場合もあるというので、私は少し期待したのであるが、それは結局無駄に終わった。胃カメラをのむ時空気を入れて胃を膨らませるので、空気は腸内を抜けて体外に出、おならとなる。それで胃カメラの操作中私のおならは鳴り通しであった。私は恥ずかしくてならなかったが、どうしようもできなかった。

【体重】

4月13日の手術まで絶食。点滴だけしていろいろの検査をし、毎日のように採血をしたので、身体は痩せ細って一挙に 5sも減ってしまった。

【食事】

手術の五日後は点滴を止めて、酸素の吸入だけとなり、普通の食事もできるようになったが、すべてお粥で、それは終りまで変らなかった。私は半分に減らしてもらい、その半分を残した。努力して食べようとしたが、駄目だった。おかずは煮るだけで、油で炒めることは絶対にしない。野菜も柔らかに煮てあるが、塩気がなく、味気ないこと夥しい。ここは都立の病院であるから、残すと税金の無駄使いになるのではないかと思い、家から五島列島で買った藻塩や、いろいろのおかずを持ってきてもらい、なんとかしようと努力したが、どうにも食欲は出ないでしまった。私は前に胃を手術したことがあり、もともと小食なのであるが、残すのは申し訳ないと思い続けた。前にも大きな私立病院でまずい食事に苦しんだ事があり、それからするといくらか改善されてはいるが、どうにも旨く食べることができないで終わった。

私は口がおごっているのだろうか。

【読書】

貸出のボランテア団体がベッドまできて、読書を勧めてくれた。私は20冊くらい借り、手術中とその後を除いて読書ばかりしていたから、ひまを持て余すということはなかった。重さも内容も軽い文庫本で、池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎等の時代小説が多く、一日に二冊も読み飛ばすような事があった。また今まで読めずにいた、他の作家のものも読んだ。

【体調】

手術後はさすがに傷が痛くて苦しんだ。ちょっと身体を動かしても痛みが走って、鼻をかんだり、うがいをすることもできなかった。もっぱら横になって静かにして眠り、痛さから逃れようと努めた。傷はまもなく癒え、体外に出してある管の痛みだけが残った。その管からは、胆汁が流れ出て何回も取り換えた。胆汁は食物の消毒をするのだろうが、真っ黒なその色に驚いた。

身体はタオルで拭いてもらったが、風呂に入るのを許されたのは抜糸の後になった。頭髪は抜け毛とふけだらけだったので妻に洗ってもらい、さっばりした。しかし足までは洗えず、はがれた皮膚が細かい粉となっていっぱいに靴下に付着していた。

【病院の対応】

至れりつくせりの対応であったと思う。医師も看護師もていねいで問題になるようなことは何もない。看護師は頻繁に交替した。私は退院の時のアンケートには最大限の賛辞を呈しておいた。桜の花のまっ盛りを窓の中から眺め、退院近くなってから、妻に車椅子を押してもらって観にいった。八重桜が咲いていた。都心には構内にこんな桜が咲くような病院はない。

【経費】

私は保険のうるさい宣伝が嫌いだったから入らなくて、入院費が心配であった。しかし九万円弱で済み、あまりの安さ(一割)に感激した。こんな福祉がずっと続けばいいなぁと思ったが、これからは改悪されるらしい。

【感想】

多くの美人看護師さんの世話を受けられたことに感謝する。中には、どうしょうもないほど身体が盛り上がった若い人もいて目をひいた。しかしかえってそんな人の笑顔が何ともいえず優しく、心を和ませてくれた。年寄りにとって、スタイルよりも心の優しさが最大限の嬉しさなのだ。

そんな優しさに心からお礼を言う。

また入院中多くの人からも暖かい心を寄せられたことに感謝する。とくに妻は毎日来てくれて嬉しかった。医療にとってはそのような心が何よりの効果を表すのだ。……四月九日、ようやく42日間もかかった病院のベッドから退院することができた。……家で食べるご飯が何よりもおいしく感じられた。