伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「鬼の話」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。2014.4.10没

鬼の話

鬼の話

鬼の話は、今昔物語の他に古今著聞集、風土記、古事記、日本書記などにも記されている。日本人はもともと「こだま」や落雷、その他の自然現象の中に、神や精霊が宿るという霊魂信仰を持っていた。鬼以前の恐ろしい霊としては蛇神があったが、そのうち中国からの知識として伝えられたのは死霊である。死霊は鬼の観念を伴って、いろいろ恐ろしい行為をするが、日本人は鬼は大人(おおにん)という観念で受け取り、神の使いとも考えていた。

奈良県明日香村(あすかむら)に「鬼(おに)の俎(まないた)」「鬼(おに)の厠(かわや)」と称する大きな岩がある。これは古墳が崩れて石室の床と上の石が残ったものであった。「鬼の」としたことで、鬼を大人と思っていたことが解る。また岡山市の吉備津(きびつ)に吉備津神社があって、吉備津彦命が祭られているが、ここには鬼退治の伝説が残されている。鬼退治のモデルで、江戸時代にできた桃太郎の昔話の元になっている。伝説では十代垂仁天皇の時に、吉備の国に異国の鬼神が飛んできた。百済の王子で温(う)羅(ら)と名乗り、目は爛々と輝き、真っ赤な髪をして4メートルの身長と怪力を持ち、凶悪な性格で備中国に城を築き、海賊と拉致を繰り返した。人々は恐れてその住居を「鬼の城」と呼んだ。征討後、さらされたその首は大声で唸り通したので、かまどの下に埋めた。その後13年間も唸り通し続けたという。これなど典型的な鬼の話である。

古代日本人には土蜘蛛という土俗の集団がいたことが風土記に記されている。大陸で始められた新しい稲作農業の大きな生産力を蓄えて北九州に上陸し、大和に進出した倭の新政権は、吉備地方の勢力を加え、出雲地方の古く大きな勢力を従えて、土蜘蛛先住民を排除、或は融合しながら発展した。土蜘蛛というのは先住民の中でも最強の集団の一つであったろう。土窟の住まいをしていたことから、その名がついたといわれている。

これらの先住民と戦う時、相手は鬼という感覚で対峙したのである。

記紀の神話では天孫が降りたった時、道の途中で待ち構えていたのは、猿田彦という土地の神であった。猿田彦は真っ赤な顔と長い鼻の大男であり、後の天狗の原型となったが、これが鬼に出会う始めであったという事だろう。ここから鬼とは大人であるという認識が始まったという事をしめしている。

倭の政権は恐ろしい鬼を従える事で事業の第一歩を固めた。大和に入植して勢力を持った後も、多くの抵抗に出会ったようだ。命に従わず、無視する態度をとった地方の豪族は多かったろう。記紀をみると、景行天皇の時代に多くの征討が行われたが、先住民の中には卑弥呼のような巫女がいて、神のように尊ばれていたと思われる。卑弥呼は「鬼道に仕える」と魏志倭人伝に記されている。鬼道とは相手を殺す恐ろしい呪術である。抵抗する敵は、鬼の感覚である。後の時代に表れた大江山の酒呑童子や、源頼光の活躍する話の中にも鬼が表れている。鬼は新政権から見れば恐ろしい賊であった。

女性と鬼

鬼女という言葉はあるが、鬼男という語はない。女性の怨霊は凄まじい恨みを表わし,般若の面に象徴され、能舞台によく登場する。男は多く盗賊や天狗になるが、怨霊となることは稀である。

生霊は今生きている女の怨霊である。その相手は自分への愛を裏切った男であるはずなのに、男は責められることなく、恨みは常に男の新しい愛人に向けられ、その人をとり殺すという悲劇に発展してゆく。源氏物語に登場する六条御息所(みやすんどころ)は生霊の保持者で、二人の女をとり殺してしまう。しかし当の御息所は、後で気づいて驚くものの、自分ではどうすることもできない。ここに、当時の「生霊」というものが物語の中に登場する。恐ろしい鬼は多く死霊として顔を見せるが、女性の地位の低さが多くの者に自覚されていないという特徴がある

男は生霊に対して、強く身構えるという態度をとることで、事態を切り抜ける。光源氏は己れの行為が殺人という事態を引き起こした責任については、鈍感である。生霊は相手の女を取り殺した後退散してしまうから、男は生霊の被害を受けることがない。これも当時の社会が男本位であり、女の人権的な問題は顧みられていないという事を示している。生霊は現実よりも物語の世界に顕著である。当時の女性とは、宮廷における帝の妻妾や女房階級であり、彼女たちは,物語の中で、登場人物の運命に嘆き、一喜一憂するという事に多く熱心だったのではないか。

物語の作者は何人か居り、その中には男性の貴族も混じっていたであろうことが、このような事態を招く結果を生んだのではないだろうか。

江戸時代に評判となった幽霊の物語や劇で、被害者は女性が多く、幽霊となるのも女が多い。鬼の登場は、近世に入って少なくなり、武士、町人文化の中での女の悲しみは改善されていった。明治以後の制度の中では一夫一婦のキリスト教制度が重視され、女性の地位は著しく向上する。

鬼は今、日本では農村の祭りや、豆まき、秋田の「なまはげ」観光などに残っているだけで、かつての恐ろしさはなくなってしまっている。しかし「鬼の心」はなかなか払拭できない。ことに世界の異宗教民族間には、問題が多い。日本人は、「鬼の心」を止め、「和の心」を以ってこれからの世界に対処していくことが大切ではないだろうか。

2012/11/18