「男らしさ」について。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

「男らしさ」について

「男らしさ」について

(1)

私は七十歳(1995年3月14日)の時、御茶の水の三楽病院で、睾丸の摘出手術を受けた。手術は簡単で、約三十分で終り、腰椎麻酔だけですんだ。

その前年の九月、私は前からひどく肥大していて、一度尿閉を起して危險でもあった前立腺の経尿管摘出手術を受けた。その際組織検査をした医師から、「ちょっと形の違う細胞が見つかった」と言われた。形の違う細胞とは何のことかわからなかったが、詳しく聞きただすと、要するにこれは腫瘍細胞の疑いがあるということである。腫瘍細胞とはすなはち癌細胞のことで、放っておくと前立腺癌をひきおこす恐れがあるから、予防しなければならない。予防とはこうした癌細胞の増大を止めることで、それにはこの細胞を養っている、男性ホルモンの出所を断ち切ることが必要である。男性ホルモンを製造しているのは主に睾丸であって、この睾丸を切り取ってしまえば、ホルモンは出なくなって、癌の予防ができるというのである。

睾丸は男性ホルモンを製造する。しかしこれを取ってしまうと、男性ホルモンが出なくなって、男が男でなくなる、そういう恐れはないだろうか。

私はこの時六十九歳に達していて、性感覚はもう失われていたから、手術は必要ないのではないかと言ってみたが、医師は、「ホルモンは少しずつでも送られているから、その元を絶つことが必要なのです」、と説明した。手術は万全の予防なのだろう。それに、外科の医者はよく切りたがるそうである。少しでも手術の可能性があれば、それを主張するのは当然なのである。

私は決心がつかず、妻以外にうちあける人もいなくて、二週間ごとに通院し、男性ホルモンを弱めるという薬をもらったり、注射を受けたりしていた。

御茶の水へ通うのは、何か楽しいことでもあった。駅の周辺は学生相手の商売で、低価格の店が多く、理髪店も粗末ではあるが、普通の半値以下だったから、ずっとここで整髪をすませていた。病院の通りにはイタリアンレストランが四軒もあり、帰りには池袋で妻と待ちあわせ、映画などを見た。イタリア料理を食べ歩き、うまい魚や惣菜を買って、シニア料金の映画などを数多く見た。

しかし二週間ごとに通うのはわずらわしくもあり、十キロも減った体重は半分以上回復してきたので、このへんでそろそろ観念するより外なかった。医師は一週間の入院ですむからと言った。私は覚悟を決めて三月十三日に入院し、翌日すぐに手術をした。痛みは何も無かった。医師は瓶に入れた二個の代物を後で見せてくれたが、この時は何の感慨も浮かばなかった。

しかし厄介なことが手術前にあった。手術箇所の剃毛である。若い看護婦が説明にきて、「私がやります」とこともなげに言う。これには閉口した。そんな所を(かけねなく)美しい看護婦にいじくりまわされるのはかなわない。自分でやりますからと頼んで、苦心して汗をかきかき、丁寧に自らの毛を剃った。誤って少々切り傷も出したが、貸してくれた剃刀は不思議によく切れ、検査は男の看護士がやってくれた。病院にとっては何でもないことなのだろう。彼等は職務上必要なことをやっただけである。しかし七十歳の老人といえども、私は男性のはしくれであり、ことに美人の看護婦に対しては抵抗を感じる。どうせ手術の時は下半身すべてはぎとられ、丸出しになるくせに、その時は麻酔をかけられているからと、理由を付けて平気をよそおうのである。

ただ手術後は毎日検温のたびに、傷口を見せて下さいと言われた。看護婦は毎日交替して入れ替わる。消毒は男の医師が行うが、看護婦は異常がないかどうか確める。ちらと見るだけで何もしないが、常に「女らしさ」を発揮してやまない女の看護婦のこの要求には、困っても仕方なく、観念せざるを得なかった。

(2)

私は睾丸を喪失した。将来、癌という、かかるかもしれない恐ろしい病因を避けるためには、手術は止むを得なかった。身体上は何の変化も感じなかったが、それについては、やはり諦念(ていねん)を持たざるを得なかった。

中国の歴史を見ると、軽い罪を犯した者を宮刑(きゅうけい)に処して、宦官(かんがん)となった役人が多数後宮(こうきゅう)内にいた。時には「史記」の作者として知られる司馬遷のような優れた人物も出たが、多くは母后(ぼこう)や皇帝に取り入って、よからぬことを画策し、隠然たる勢力を持って中国史を攪乱した。

宮刑とは、男の象徴を取り去る刑罰である。医学が未発達な過去においては、肉体的にはもちろん、精神的に大変な苦しみであったという。

草原の国モンゴルでは、羊や馬の睾丸を取る技術は、男なら皆持っているという。その時はバケツ一杯に山盛りにして、全部食用にするそうである。牧畜の伝統を持たぬ日本人は何も知らず、そのため騎馬戦が発達しなかった。この知識が近代戦に取り入れられるようになったのは、日露戦争後であるといわれている。今でも犬猫の去勢は、大金を払って医者にやってもらう。

睾丸を失って、男の範疇(はんちゅう)の一部は失ったのであるが、私はまったく男でなくなったかというと、そうでもないように感じる。「手術したらどうなりますか」と医師に聞いたら、にやりとして、「多少、軟弱になります」と言った。私の場合も、自分では気がつかないが、多少軟弱になっているのかもしれない。しかし声も変らず、髭も生えるから、男でないとは言えない。外観上は今までと全く変らないのである。

しかし老化は確実に起った。まず力を出すことができなくなった。筋肉がなくなったせいでもある。足腰が弱って、駆け足はもちろん、さっさと歩けなくなった。七十歳後半になると、身体を前後に曲げることも困難になって、時々ふらつき、よろけることがある。転んで怪我をしたことがあるので、極力無理しないように用心した。病気になることが一番いけない。歯の治療をした時には、噛み合わせが変化したために食欲がなくなり、十キロも痩せた。風邪をひいても体力がなくなって、十キロ痩せ、転んだら起き上がれなくなり、いまさらながらびっくりした。それ程老化したという意識がなかっただけに、体力の減少に気がついて驚いたのである。

しかしこれは誰にでも起る老化現象ではないだろうか。ホルモンの変化なんかより、老化の方が早く来た。手術して男性ホルモンがなくなったなどいうことではあるまい。ホルモンは老化と共に早くから出なくなっているのだから、もう心配することはない。

体力の低下と共に、精神的な変化も起きた。すべてが面倒くさくて、億劫な感じがする。最後までやりとおすということができない。途中で馬鹿らしくなって止めてしまう。何でもやりっぱなし、身の回りは散らかしどおしで、整理することができない。

しかしこれは私の欠点であって、いまさらながら起ったことではない。だんだんその傾向が強くなってきたとはいえる。しかしよく聞いてみると、私の周囲はみなそういう傾向があり、姉たちも「男ってみんなそうよ」といった。しかし姉も似たところがあるから、片づけ下手なのは、私たちが親からうけた弱点なのだろう。

「だらしがない」と私は妻によく言われた。私自身でもそう思う。ほうっておくと私の周囲は何か紙切れが散乱した。やり出したことを途中で止め、他のことをやり出す。

私は書斎を持っている。書棚に本がいっぱいつまっている。隣に次男が家を建ててから日当たりが悪くなり、二階に書斎を移した。二階は日がよく当り、日中は気持ちがいい。しかしここは自分の気ままにできるから、やはり本や紙切れが散乱した。ベッドは敷きっぱなしで、すごく気持ちがいい。人が来ないから気にすることもない。何でものうのうと思い通りのことができる。自由な精神の謳歌である。

私は一部男性的でなくなったことを認める。しかしそれは老化が招いた現象である。男性的ではなくて、中性的というべきなのかもしれない。それは精神の問題で、老域に達した今、とりあげるべきことなのだと思う。

私の妻は私より八歳年下であるが、早くから子宮筋腫になって、すでに子宮を全部切り取ってしまった。子宮は女性ホルモンの製造所であろう。しかし妻は女でなくなったなどと思わないし、私も言わない。驚くほど気が強くて、私は時々強く叱られることがある。あまりにひどくいうので言い返してみるが、無駄である。言い返せば返すほど強く返ってくるから、途中で馬鹿らしくなって止めてしまう。傷つけられても、早く止めた方が傷は少なくてすむのである。

幸い、妻は血液型Bで、いつまでもくよくよしていない。人を傷つけても、私が感じるほど感じないですぐ忘れる。だからいつも明るくて元気である。私もそんな妻のお陰で元気で居られる。少しの我慢ですごせるなら、時には傷つけられてもこのままでいる方がいい。

気の強過ぎる妻の欠点は、女性ホルモンの問題でもあろうが、それは今さら始まったことではない。妻の最初からの性格である。女は弱々しいばかりとは言えない。とくに中年後の女の隠れた強さが、その国の強さにもなる。日本を支えているのは、妻のような気の強い女なのである。

(3)

「男らしさ」とはいったい何なんだろう。単的にいうと、アメリカ人のように、やられたらやり返す意欲だなんていうと、戦争がおこりかねないが、まず強い意思を示すことだということではないか。私の場合は、これからの老後を確かな意欲と自覚をもって過ごすことだと思う。男として生まれたのだから、その一生の最後に、強い意思をもって生きることが必要だ。これから先、何ができるかを考え、弱音を吐かず、強い精神力を持ち続けるようにしなければならない。これからの変化…身体的退化に耐えて、最期まで生きる勇気を持ち続けること、つまり困難な事態にあっても、それを克服する勇気を持つようにすることである。

結局、「男らしさ」とは精神力の問題なのだ。これが私の結論である。