伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「らくだの涙」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

らくだの涙

らくだの涙

8年前から毎年11月に茅野で開かれている、小津安二郎の記念映画祭に、今年も行ってきた。ここ(茅野)で見た各種の映画作品の中で最も感動を受けたのは、「らくだの涙」であった。

モンゴル人の包(パオ)が建てられている部落の中に、たくさんのラクダと羊を飼っている所がある。雌のラクダが毎年仔を産む。その中で、もう老齢なので、産んでも仔の面倒を見ようとしない母ラクダが居た。仔の身体を舐めてやって綺麗にし、母乳を飲ませる。親子はそうやって互いに相手を認めあうのだが、仔のラクダが近寄ってきても母ラクダは避けてしまう。仔は生きられず、だんだんと弱ってくる。人々は心配する。羊の乳を呑ませてやるがうまくいかない。

必要があって、役所まで行く用事があった。男の子の兄弟が一頭ずつラクダに乗って旅をする。他に交通の機関はない。兄弟は役所で音楽の教室を見る。音楽といっても、馬頭琴の演奏を習っている教室だ。兄弟は馬頭琴の先生に頼み込む。…「どうか動物たちに音楽を聞かせにやって来てくれないか…」

音楽の先生が村にやってきた。動物たちのそばで楽器が奏でられる。馬頭琴の調べが辺り一体に響く。すると母親ラクダの大きな目に涙がいっぱい溜まってあふれ出た。仔ラクダが乳を呑もうと近寄っていっても逃げない。よかった。仔ラクダはどうにか生きられた。

観客である私たちにも、感動が広がり、涙がじわっと出てくる。

モンゴルは日本人と近しい。モンゴル人が日本にやってきて、苦労の末横綱になったじゃないか。日本人はそれを歓迎する。これからも日本の相撲は外国人によって補強されるだろう。それはけっして悪いことではない。

モンゴル人はわれわれ日本人となんとなく顔が似ている。日本の相撲取りが弱くなって負けても、モンゴル人の横綱を応援する。日本人はそれほど鷹揚(おうよう)なのか。

日本人は実は遠い時代、モンゴル人と親戚だったのだ。日本人の祖先…といってもはるか遠い昔、シベリヤのバイカル湖付近に居住していた古代石器時代人の一部が、樺太、北海道を通り、マンモスや大角鹿等の大形獣を追って北から移住してきた。約一万年前から日本の縄文時代が始まった。アイヌ人はこうした北方モンゴル人の子孫と言われている。

縄文時代人はその後、大陸や南方から移ってきた人と交わり、稲栽培その他の技術を学び、弥生時代の文化を築いていった。

日本人はこうして、アジア人とは密接な関係を保っている。文字、宗教、政治、文化全般に亙って、中国からの手厚い影響を受けた。侵略を受けたことは一回もない。蒙口襲来の危険はあったが、鎌倉武士と台風とがしりぞけてくれた。これからも日本人はアジア人の一人として、友好関係を保っていくべきである。

私が「らくだの涙」を見て、なんともいえない感動を受けたのは、そういった歴史の上に築かれた共感に基づいているのだ。