伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「説経節」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

説経節

説経節

説教節というのは、室町時代から江戸時代まで流行し、仏教の説教をした歌謡である。三味線を伴奏にして、人形芝居の物語地にもなった。明治までも続き、瞽女(ごぜ)の角付け芸にも取り入れられた。刈萱と石童丸、信太妻などあるが、おぐり、さんせう太夫などがその代表となっている。

さんせう太夫

森鴎外の山椒太夫は説教節のさんせう太夫を元にして近代小説に仕立てた。その元となった説教節は次のようになっている。

(以上は水上勉の「説教節を読む」によった。彼の観た竹人形芝居以外に、いろいろと語る人によって多くの物語脚本の筋が違い、一定していない。)

かるかや

筑前松浦党の棟梁、加藤繁氏は六ケ国の守護職であったが、花見の宴で桜の若い枝の花びらが杯に入るのを観て無常を感じ、出家遁生の修行を決心する。長女千代鶴の他に奥方の胎内には七月の子か居た。男だったら、石童丸と名をつけよと命じて、京都黒谷の法然上人の庵に入門し、刈萱道心と名を変える。十三年後、筑紫にいる妻子たちが尋ねてくると、出家の妨げになると言って高野山に入る。石童丸は成人し、母と共に父を尋ねに、法然上人を経て高野に行く。しかし女人禁制の山に母は登れない。石童丸は麓の宿の不動坂で父と会うが見分けられない。六日かかって奥の院まで探しに行き、母の所へ戻ってからまた探しに登る。刈萱は再び奥の院の橋で石童丸と会い、問いかけた子をそれと知るが、父は病でなくなったと嘘をいう。友の墓へも寄らせるが石童丸には分らない。山を下ると麓の母は病がつのって死んでいた。筑紫へ母の形見の髪を持ち帰ると、そこでも千代鶴姫は待ちあぐねて死んでいた。石童丸はまた高野へ戻る。道心は石童丸を出家させ、道念と名乗らせる。道心は信濃の善光寺の奥の御堂に閉じこもり八十三歳まで生きた。道念も高野で六十三歳まで父と同じ日の同じ刻に大往生を遂げる。家庭崩壊の出家劇が高野山霊場の内側を露わに描く結果となった。

信太妻(しのだつま)

「葛の葉」や「保名」の名でも知られる狐妻の物語。

安部保名の先祖は安部仲麻呂と言い、遣唐使船で唐に渡った留学生。長子の保明は弓の名人。保名はある日和泉の信太じょう明神に参詣する。そこで河内の豪族石川悪右衛門の尉つね平と衝突する。彼は占い師の芦屋道満の弟である。つね平が妻の熱病を兄に占ってもらうと、若い狐の肝を呑めということだった。和泉の信太の森で狐狩りをしようとして、参詣に来て逃げ込んだ子狐を助けた保名と戦う。双方渡り合うが、無勢の保名らは討たれ、生け捕られてしまう。そこへ名高い藤井寺のらいばん和尚がきて、保名をあずかると言う。和尚は野干(狐)であった。保名はまた谷川に落ちて狐に化けた女房を引上げて助ける。女は家に案内して夫婦の契りを結ぶ。保名の父保明が探しに来て、狐を得た悪右衛門と乱闘となり、保明は殺されてしまう。保名と狐妻との間に子が生れ、後の天文地理学者で占師の安部清明となる。狐妻はある時仮の姿を忘れ、七歳の子に見られてしまう。苦しんだ末、障子に「恋しくば尋ね来て見よ、和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と書き、泣く泣く元の棲家に戻る。父子は母を尋ねるが、どうにもみつからない。

(インドのヒンズー教はすべての生物には仏性があると教え、アイヌ人もまた同様の霊魂の存在を尊重する信仰を持っている。)

安部清明は小鳥の話を聞いて帝の病気の原因を取り除かせ、宮中の陰陽頭となる。加持祈祷の占い師芦屋道満はこれをうらやんで参内し、透視の戦いとなって道満が負ける。道満は清明を恨んで一条橋の板をはずし、勅使に化けた伏兵のために保名は切り殺されるが、身代わりであった。宮中での終幕は武技くらべとなり、道満は天皇の前で首を切られる。

をぐり

小栗判官は公家の兼家の子、母は常陸源氏の流れで、鞍馬の毘沙門天に祈って生んだ子である。父は七歳になった子を比叡山に上らせて勉学させる。十八歳の時に位を授け、屋敷を与えて常陸小栗殿と呼んだ。小栗は女嫌いで妻を迎えない。しかし鞍馬参詣の途中、深泥(みどろ)が池の大蛇が懸想して美女に化け、小栗を誘う。小栗は心を取られて契るが、父は怒って常陸へ流してしまう。その館へ物売りの後藤左衛門がきて、武蔵相模の群代横山殿の娘、照手姫を世話する。小栗の恋文が届けられ、姫も了承する。横山殿は腹をたてるが、三郎の計らいで、鬼鹿毛という荒馬を乗りこなすよう要望される。小栗の額によねの字があり、鬼鹿毛が読んでおとなしくなり計略は失敗する。しかし毒酒をのまされて死ぬ。照手も自害して相模川に投げ捨てられる筈の姫は、観音菩薩の要文を唱えて蘇生する。しかし姫を川から掬い上げた漁師の姥は売りとばしてしまった。

土葬にされた小栗判官は閻魔大王が蘇生させ、藤沢の遊行寺にいた明堂聖のもとへ預けられる。その手紙に紀州の湯の峰に入れてやってくれとある。上人は「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」と書き添えて土車に乗せ、この餓鬼阿彌の車を運ぶ。照手は途中で見つけ、道行きの名調子で熊野本宮に至り、熊野三山の湯に入って元の体に本服し、父の館に入る。帝は五畿内五国を小栗に賜る。小栗は照手を呼び、横山の三郎は荒簀に巻き、海水に漬ける。漁師の姥は竹鋸で首をひかす。小栗は照手と常陸に帰り、長者となって栄えた。

どの説教にも共通する所は、信仰の対象として地蔵菩薩や観音菩薩、八幡様を拝み、一時は憂き目を見るけれども最後は幸せになる。不幸の原因となった相手は荒簀に巻いて水に沈めたり、竹鋸で首をひかせたりする。台本によって筋は変わっており、門づけに来た盲目の瞽女、語り聖によっても違う。それはすべて口語りによったからである。