他国に学ぶ。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

他国に学ぶ

1、アイルランドへの驚き

私の寝室の壁に、一枚の小さな写真の額が掛かっている。それはアイルランドという国の西海岸地方の、何でもないように見える風景の写真である。(アイルランドはイギリスの西にあり、第二次大戦後独立した。)

<私はこの写真をアイルランドに旅行した時に買った。その写真のようにアイルランドの西海岸地方は、どこも低い草が一面に生えているだけである。住民はそのまわりに石灰岩を何層にも積み重ねて、人の胸くらいの高さにし、草地を囲む垣根にしている。その約 200坪くらいの広さの土地の中には、何頭かの牧牛がのんびりと草を食んでいたり、寝転んでいたりしている。しかし全く牛は居ないことも、羊だけのこともある。/p>

実はアイルランド人は大変な思いをして、この牧草地を作り上げてきた。私はその事を何年か前のテレビで見てひどく驚き、この土地に行ってみたいと思うようになった。私がそれをアイルランドに一緒にいった人たちに話したら、私同様同じテレビを見たという人が意外に多いのを知って、またまた驚いた。一回のテレビが多くの人に海外旅行のきっかけを作っていたのである。

アイルランドの西海岸地方は、元から牧草地ではなかった。もとより農作地でもない。なぜかというと、土の層がごく薄いのである。だから日本のススキみたいに、丈が高くて強い草は生えない。日本は古い昔から長年の火山活動によって、火山灰が厚く降り積もり、多くの川の急流が山から土を運んで、平野部に豊かな沖積層を作っている。それに比してアイルランドのこの地方は、氷河に削り取られた岩石だらけの土地である。土は僅かにあるとしても、水がたまって湿地になっている。そこに生えていた丈の低い草が滞積しているが、温度が低いので(年平均10度、夏でも18度)草は腐らず、泥炭化している。この泥炭は掘り上げて乾燥しても燃料にはならず、始末に困る。かつては燻(いぶ)らせ、ウイスキーの製造に使うこともあったが、一般には何も用途がない。昔この泥炭を掘りあげた所に水がたまって、深い溝となり、そこに落ち込んだ人が死体となって何年か後、偶然掘出されることがあった。

しかし湿地でないところは、下に滞積した泥炭が少々熱を持ち、微かに暖かい。だから牛たちは気持ちよくそこに寝転んでいるのだという。

このようにして、アイルランドのこの地方は、もともと石灰岩だらけの土地であったのが、農民たちはそれをハンマーで打ち砕いて、拳大の大きさにする。岩石といっても、石灰岩は歯がたたないほど堅くはない。そこに厚く海草を敷き詰めて羊を放牧する。垣根の石垣の一部は羊を入れる時に取り払い、羊が入ると積んでおく。連れ帰る時はまた取り払う。これを毎日繰り返すのである。長年これを繰り返すうちに、海草は羊の糞尿と混ざりあって腐り、次第に土と化していく。そこに牧草の種を蒔いて育てていくうちに牛が放牧できるようになる。

それには最低10年はかかるそうで、そんな大変な苦労の連続を、アイルランドの農民たちはやっていたのである。

「ウルルン滞在記」のテレビはそうしたことを報道していた。日本の若者が覚悟を決めて入り、(そうした約束なのだろうが)ハンマーで石をたたき割る仕事をしていた。

私はテレビでこれを知って驚いた。

……世界の中でそんなことを今まで続けている所がある。……私にとってこれは(他の人でもきっとそうだと思うのだが)全く驚きの連続であった。

アイルランド人は最初から牛や羊の放牧を始めたのではなかった。最初はヨーロッパ北部にケルト人として住んでいたが、ローマ軍に追いやられ、大陸の更に北の国からイギリスに移住していった。しかしそこでも民族移動や他民族の侵入があって、安住することができず、北のスコットランドや、西のアイルランドに移ったが、イングランドからの絶え間ない圧迫に苦しみ、長年の闘争の後、ようやく独立を勝ち取ったのである。

とはいっても肥沃とはいえない土地や石だらけの西部に住むのは容易ではない。少しでも農作できる東部の所では、主に麦やじゃがいもを植えた。しかし同じ作物ばかり作っていては危険である。だんだん連作障害が起こって不作となり、そのうちにじゃがいもに病気が出て凶作が全土に広がった。農民の多くは飢えて多くの死者を出した。

こうして19世紀からアメリカへの移住が始まった。アイルランド農民の大半がアメリカに移住した。今アイルランドの人口は 700万人であるが、約1000万人に近い人が移住し続けたという。そのため一時期人口が 280万人にまで落ち込んだそうである。

アメリカでは成功した人もあり、大統領の家系を持つようになった人もあった。映画界ではジョン・フォードなどが有名で、「駅馬車」はよく知られている。「風と共に去りぬ」の中で、主人公ミッチエルが火事で館が焼け落ちた時、「ターラの丘へ帰ろう」という台詞をいうところがある。「ターラの丘」とは、アイルランド人にとっての聖地である。

アイルランドの中央部にあるその丘は、タラ朝期(前1世紀〜7世紀)アイルランドの各地で王と称される人たちがここに集まって協議した。その協議の中には、王の中の王を決めることも含まれていた。

草原の丘の中央に、人の胸ほどの高さの石灰岩が立っている。王の中の王を自負する候補者がその石の上に手を置いて、イエスかノーかその意思を住民に問うてみる。するとイエスの時、石は振動し、音を立てて答えたという。

こうした伝説はいかにも不思議な国らしい感じがする。アイルランド出身の人が他国に移住しても、この石のある丘を「心のふるさと」として、終生忘れぬ心の底に秘めているのも、日本人の私たちにとっては、素晴らしい事のように感じるのである。

私たち日本人は当然の事ながら、欧米から遠く離れ、狭い国土の中に暮らしていて、外国の事情に疎い。しかしヨーロッパに行くと、若い学生たちは自転車で各地に旅行し、ドイツには自転車専用の通路まである。子供たちは幼稚園の時から教会に連れられていって慣れ親しんでいる。これはキリスト教の歴史を理解する上でも、重要な教育である。

こうした習慣の違いは、井の中の蛙のように世界の事情に疎い日本人に、大きな国際感覚の貧しさをもたらしている。

たとえばアイルランドといってもどこにあるか分からぬ日本人は多いだろう。アイルランドはイギリスの一部ではなく、立派な独立国なのである。長い間イギリスの過酷な支配に苦しみ、第二次世界大戦まで闘争を繰り返し、ようやく独立を勝ち取った。その長い間の対立が今日のアイルランド人の気風を勝ち取った。小さな国でも馬鹿にできない根性の持ち主の国民がそこに居るのだ。スコットランドでも同じで、イングランドがスポーツでドイツと対戦する時は、ドイツに応援するそうである。日本人には到底理解できないが、苦しい闘争を繰り返してきた長い歴史があったのである。

こんなことを思うと、我々日本人は、「井の中の蛙」ではいられない、もっとよい国際感覚を養うための教育が必要ではないかと、痛切に感じるのである。

2、アメリカ、中国を見直す

日本はかつて愚かな戦争に挑んで敗れ、惨めな敗残を経験した。このことは何回繰り返して思ってみても残念な気がしてならない。その結果、国土のあちこち、特に沖縄に(とても独立国と言えないほど大きな)アメリカ基地を残し、精神の尊厳を失って、犯罪を多発させる現状の元を作ることになった。

こうなった原因の一つは、我々国民が愚かな政治家や陸海軍人たちに、戦争に踏み込む危うい外交や危険な国家主義を任せてしまったことに端を発している。このような愚かな指導者たちは戦争の時だけでなく、その後も未だに続いて現れているのではないだろうか。

私は若い時、陸軍に入って、あまりにも愚かな将校たちが威張っていることに驚いた。乏しい食料と貧しい環境のために身体も精神も痩せ細り、またばかげた教育のために国の将来性をも失っていることにも気づいて、これでは戦争に負けても仕方ないと早くから思った。そしてそれは嫌でも應でも死を意味するから、死ぬよりほかないなと、その時は覚悟した。

しかし愚かでない指導者や軍人も居た。山本五十六(連合艦隊司令長官)はその一人である。彼はかつてアメリカへの武官として派遣され、その優れて大きい国力を目の辺りに接して、戦争の相手にすべきではないことを知った。緒戦に大暴れして一年後に止め、休戦に持ち込むことを条件に戦った。しかしそれは無理であった。有利な初戦に気を良くした他の指導者、軍人たちは目が覚めなかった。一般の日本人もそのことには全く思い及ばなかった。

このように言うのは、私も戦後アメリカに行って、アメリカ人の背が高く、巨大なくらいに肥った人に出会う事が多かったからである。私はその時、"よくまあ、こんな人たちを相手にして戦う気になれたものだ"と痛切に感じた。そんな簡単なことをなぜ当時の日本人は気づかなかったのだろうか。それははっきり言えば、当時の日本人の多くはアメリカに行ったことが無かったからであろう。そうまでしなければ分からなかった愚かさ加減が日本全体を覆っていた。

当時のアメリカ一般人の強さ…粗暴さまで含む…は最近見た「スタンドアップ」というアメリカ映画にもよく現れている。夫と別れた子持ちの女性が収入の良い鉱山業の会社に入社する。男の労働者たちは卑猥な言葉でその女性を追い込み、遂に裁判にまで踏み込ませる。周囲はすべて女性の敵である。裁判所は三人以上の訴状を要求する。同じ女性の同僚まで、職を失うことを恐れて、立ち上がろうとしない。その時、最初に立ち上がったのは女性の父親であった。こらえていた人たちが次々と立った(スタンドアップ)。そうして初めて「性的いやがらせ」を禁止する、世界に画期的な法律が成立した。

私がこの映画を見て感じたのは、アメリカという国の底知れぬ力強さと、同時に大きな粗暴さである。それは日本人にはなかなか持てない国民性であって、四季折々の美しい自然に囲まれて、優しい心情に養われた日本人には到底及ばぬ国情である。

今思えば、戦争に負けて、思い上がった軍人たちが居なくなったのはよかったと思う。しかし愚かな人たちが、今も居なくなったわけではない。

 

私はつい最近発売された「中国がひた隠す毛沢東の真実」という本を読んだ。スターリンよりももっとひどく凄まじい権力闘争が中国にもあったことを知って、やはりそうだったのかと思った。毛沢東の責任によって、共産党や中国人民が4200万人もの大変な人数(話半分にしても)が命を落としたそうである。前から少しは知っていたが、こんなにひどい実情があったとは考えられなかった。

どんなに優れたように見える思想でも、そのままでは生きて実現することは出来ない。実現させるのは生きた人間である。しかし生身の人間には、浅ましい欲望や人間的な感情は避けて通ることが出来ない。思想を体現する生きた政治家の人間が、よほど優れていなければ、国家としてはかえってマイナスの結果を生むことになるのである。

我々日本人はかって長い歴史の中で、大国である中国に学ぶことが多かった。今でもそれは止めてはいけないはずなのに、日本の古典と共に漢文の教育は中学、高校では諦めてしまっている。思想教育、道徳教育の貧しさは目を覆うばかりだ。東西を問わず、過去の歴史の中に優れた人物がいたことを忘れてはなるまい。

今、テレビの番組の中で漢字クイズが流行っている。漢字の知識にとどまる事なく、言葉の理解につながる方向に向かうならば、これは歓迎すべきことである。そして、あらためて過去4000年の中国の歴史の中では、浅ましい権力闘争の弊害があったことも忘れずに、貴重な人物の事跡を学ぶことができるならば、これまた大変に喜ぶべきことではないかと思うのである。