伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は玉手箱の不思議です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

玉手箱の不思議

玉手箱の不思議

少年の時に覚えた歌の中には、妙に忘れられないものがある。浦島太郎の唱歌(文部省尋常小学二年唱歌、1911年…明44制定、作詞作曲者不詳、巌谷小波らが中心となった)である。

むかしむかし浦島は
助けた亀につれられて
竜宮城へきてみれば
絵にも描けない美しさ

浦島太郎像(香川県三豊市)

浦島太郎は子供たちにいじめられていた亀を助けて、逃がしてやる。すると後に亀が現れて、お礼に太郎をその背に乗せて竜宮城に連れていってやる。これはどうにも不思議な話であって、いつまでも忘れるここがなくて今に至っている。(巌谷小波は1896年に日本昔噺第十八篇を出していて、内容はこの昔噺によったものといわれている)。

しかし、ここでおかしいなと思うことは、いじめられていた小さな亀が、いつのまにか浦島太郎を乗せてやる位に大きくなっていることだ。また竜宮城は海の底にあるのに、太郎は海の中でどう呼吸をしていられたのだろうか、どうも訳がわからない。

浦島太郎の昔話はもちろんおとぎ話であるから、無責任に普通は理解できないことでも可能にしてしまう。しかし最初のうちは子供心にそのまま受け入れていても、何回か聞くうちに、やはりこれはおかしいのではないかと思うようになる。荒唐無稽で面白くても、ちょっと考えると、実際にはけっして有り得ない話なのである。

乙姫様のご馳走に
鯛やひらめの舞い踊り
ただ珍しく面白く
月日のたつのも夢のうち

意地悪く勘くれぱ、乙姫様の出すご馳走には、野菜ばかりではないだろうから、魚介類も入っていたのではないか、乙姫様はこうした魚介類の神様なのであるから、魚介類を殺して、おいしく調理するというのは矛盾してはいないかと思うのである。しかしそれも無視して先へ進もう。

遊びに飽きて気がついて
お暇乞いもそこそこに
帰る途中の楽しみは
土産にもらった玉手箱

浦島太郎のおとぎ話の中では、この玉手箱が一番大きな不思議である。このおとき話を描いた絵本では、玉手箱は、小脇に抱えるくらいの大きさで、綺麗な黒漆に塗ってあり、組み紐などで縛ってあった。乙姫様はこれを太郎に渡すとき、「絶対に開けてはいけませんよ」と警告したであろう。開けるとよくないことが起る。これはこの話を作る時の大切な中心点で、話を聞いた者は、子供でもなんとなく皆そう感じたであろう。

しかし「開けてはいけない」という警告は理屈にあわない。箱の中にはすばらしい宝が入っているのではないかと思うのが当然である。でなければ土産にくれる意味がない。開けてはいけない玉手箱を乙姫様はなぜ太郎にくれたのだろうか。

帰ってみればこはいかに
もといた家も村もなく
道に行きあう人々は
顔も知らない者ばかリ

竜宮城はこの世のものではない。かぐや姫が月世界に行けばすべてこの世のことを忘れてしまうと危惧したように、この世とは全く別世界の存在なのである。そこではこの世と時間の観念が違う。この世の一年はあの世では何百年の差があるというよりも、普通の人間に流れる時間の観念がなかったのではないか。だから竜宮城に住まう乙姫様は永久に年を取らないことになる。

これはこの世の人が信じた、他界に生きる人への信仰である。しかしそれならば、乙姫様はそれまでに年を取らないできたのか、ある程度年をとって妙齢の美人となったのではないか。そう考えるとこの信仰には無理がある。

太郎はどのくらい長く竜宮城で時を過ごしただろうか。普通の常識ではひと月、長く居過ぎたと思って、慌てて帰ったのだ。ところがこの世の一月はあの世では何十年にも当たる。これは十年でも三十年でも短かすぎる。三十年では故郷に帰ってきて、会う人すべて知らない人ばかりという事にはならない。太郎が漁師をしていたとき、浜で遊んでいた子供らはすでにいなくなっていたようである。するとこれには百年以上、場合によっては三百年もの年月がたっているということでなければ、話が合わない。こうした矛盾は、太郎が竜宮城で過した年月が一月ではなかったという事からきている。常識的に考えると一月だが、原典では三年になっていて、太郎は乙姫様と夫婦の暮しをしていたのである。

心細さにふたとれば
開けてくやしき玉手箱
中からばっと白煙り
たちまち太郎はお爺さん

人間は社会的に生きているから、知った人がだれもいない、というのは何とも心細いものである。開けてはいけないというタブーを、そうと知りつつ破ってしまった。しかし太郎はその結果急にお爺さんになってしまった。

お爺さんになった太郎の年齢はどのくらいだろう。七十歳が八十歳位に当たるだろうか。するとやはりこれもおかしい。太郎は若くて二十歳代で漁師をしていただろう。だから帰るまでにこの世の五十年か六十年の年月を竜宮城で過ごしていたのである。しかしそれくらいの月日なら、浜で遊んでいた子供たちも生きていたはずである。それが一人もいなくなっていたのだから、百年以上の年月が経っていたことになる。太郎もすでにこの世の人ではなくなっていたはずである。これはやはり時の進行上の計算が合わなくなっていると思うよりほか無い。あの世のことは計算では計りきれない進行なのである。

さてこの話の一番の中心点は玉手箱である。中には宝物どころか何もなく、白煙りが立ち上っただけであった。これはいったい何なんだろう。この白煙のために太郎はお爺さんになってしまったのたから、玉手箱は立派な土産ものでも何でもなく、いわば危険な爆発物のようなものであった。乙姫様は開けてはいけない玉手箱…太郎を危険に陥れるものを渡したのである。乙姫稼はそれと知って太郎にこの玉手箱をくれたのであろうか。とすれば相当に意地の悪い女であるということになる。

このような玉手箱とはいったい何なんだろうか。折口信夫はこれは魂箱であると断定した。玉手箱の中には魂が入っていた。折口信夫が書いたものを見ると、古代の人は自分の魂を着物の裾とか襟とかの中に封じ込め、自分しか分らないようなやり方で縛ってしまっておくという。たがら浦島大郎がもらった玉手箱には太郎の魂が入っていたのである。それを知らずに無闇に開けると、人は倒れて自滅する。不思議で信じられないような話だが、これが古代人の信仰なのである。

民族学者フレイザーの書いた金枝篇(第六十六章「民話における外魂」)の中には、こうした未開人の信仰が数多く描かれている。「未開民族の考えるところでは…死をもたらすことなしに、暫くの間はその身体を留守にすることができる」。「未開人は(生命を)抽象的に観る事ができず…箱や壺に入れて置くこともできる」と考えている。「彼が生命とか魂とか呼んでいるこの存在が健在である限り、人間は健在である。もしそれに危害が加えられたら彼は病む。もし破壊されたら彼は死ぬのである」という。そしてこうした「外魂の観念が歴史の初期において人間の心を強くつかんでいたものの一つであったことをしることができよう」と書いている。外魂は民話の中にも話され、たとえば「護符が、魂を極めて安全にしまって置く魂の箱、つまり魂の金庫のようなものとみなされる」(アラスカのエスキモー)という。神社で下付されるお守りの元は外魂であったろうか。

浦島太郎のおとぎ話は、室町時代に作られた民詰である。天橋立の北の丹後半島の地方(そこの伊根町には浦島神社がある)に伝わる民話をもとにしたものである。外魂の信仰は日本では奈良時代や平安時代の文献に見られるが、民間ではずっと後まで信じられていたのである。浦島太郎はおそらく、自分の外魂と知らずに箱を開け、中にあった霊魂を分散させてしまったのであろう。そして間もなく衰え、死んだものと思われる。それは自らの見たはかない夢の結末であった。

浦島太郎の民話は奈良時代の和銅六年(713)以後に編纂された丹後国風土記逸文の中に載っている伝承が大元になっている。それによれば浦島太郎は水の江の浦嶼子(うらしまこ)といった。雄略紀にもみえるが、この嶼子が海で釣をしていると、五色の亀を得た。するとこの亀が美しい女性となり、蓬莱山につれていった。二人はこの神仙(とこよ)の国で夫婦となり、三年を過した後、嶼子は故郷に帰りたくなって別れた。土産にやはり玉匣(たまくしげ)をもらった。帰ってきてもだれも知る者がなく、開けてはいけないと戒められた玉匣を開けると、元の若くてかぐわしい姿は何処へか飛んでいってしまった。この玉匣もやはり霊魂を入れた不思議な箱(け=入れ物)であったろう。

乙姫様の元は、実は海亀の化身であった。竜宮城の起りは蓬莱山であった。蓬莱山は古くから中国に伝わる、東海の海中に聳えるという伝説の島国である。そこには不老不死の神仙が住んでいる。中国の皇帝はそこに使いをやったが、使いはついに帰ってこなかった。

古事記には垂仁天皇が「たぢまもり」を常世の国に遣わして、「ときじくのかぐのこのみ」を求めさせたという伝承が残っている。この木の実とは、橘の系統をひいた紀州のみかんの類であったろうと牧野富太郎はいっている。中国の蓬莱山は、日本人にとって常世の国の観念となっていた。

御伽草子(室町時代後期〜江戸時代初期)の中にも浦島のことが出ていて、竜宮城の浦島の歌の元となっている。浦島太郎は二十四、五歳で、毎日海で漁をしていて、ある日釣りあげた亀を逃がしてやる。翌日小舟の中に美女が乗って漂流していたので、女の故郷に届けてやると、そこはすばらしい金殿玉楼の竜宮城であった。二人は夫婦として仲睦まじく暮し、三年間を過した後、故郷に帰ってみると、荒野となっていた。八十歳くらいの老人がいて、いろいろ尋ねてみると、七百年も昔のことで、お墓もあった。太郎は松の木陰に腰をおろし、開けることを禁止されていた形見の箱を開けてみた。中から紫の雲が三筋立ち上ぼり、浦島は白髪の老人となり、やがて鶴となって空に舞い昇り、蓬莱山に遊んだ。そして亀と共に万年の齢を全うしたという。これが丹後の国の浦島の明神であるという。

蓬莱山に住む亀姫というのは中国渡来の話である。あまり面白味がなく、夢らしい夢は感じられない。お伽草子の民話はさすがに合理化を進めているが、最後に鶴亀の結末にもっていったのは無理がある。鶴も亀も不思議な動物だけれども、未消化のままである。

浦島の話は最後まで不思議な話として止めておいた方がよい。それは永久に届かぬ人間の夢なのである。

そんな訳で、荒唐無稽の内容だけれども、私はときどき思い出して、この童謡を口ずさんでみるのである。歌の曲のよさも多分に役立っていると思う。

2000/7/1