伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「私は貝になりたいを見て」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

「私は貝になりたい」を見て

「私は貝になりたい」を見て

「かわいそうで、かわいそうで、とても見ていられなかったよ」。そういうお婆さんの言葉を、私は映画館の出口付近で聞いた。主人公の、中井正広扮する二等兵が実際には米軍の捕虜を刺殺したのだが、直接命令を下したのは下士官であり、その元は最上官の閣下と呼ばれる陸軍中将で、命令の言葉は「適切に処置せよ」であった。「処置せよ」という意味ははっきりしないが、「処刑せよ」であることは明らかである。二等兵は自分の意思ではなく命令されてやむなくやった。上官の命は天皇の命と心得よ、と常に教えられ、それに逆らうことは絶対に許されない。そこには兵隊本人の心はなく、上官の命令だけがある。生きた人間の心は抹殺されて、人形のように無条件に従うことを強制させられた無慈悲な軍隊の姿がある。

国際条約では捕虜を殺してはいけないことになっている。かつて日本は第一次世界大戦の時、中国の青島で行われて戦争捕虜のドイツ軍人を大切に取り扱い、ケーキを作らせたり、音楽隊まで結成されたという、りっぱな歴史を持っている。

しかし今度の大戦では捕虜に対する考え方が変って、かつての親切な捕虜への扱いは夢のように忘れてしまった。

なぜこのように変ってしまったのだろうか。それは変ったというよりも、日本人は外国人を丁寧に扱うことに慣れて居ず、そのような教育もなかったからである。国際的な感覚は養われなかった。そうした日本の世界への認識の薄さが、当時の日本人の決定的な在り方を示していたのである。

そうした欠陥を抱えて、軍隊は結束した。天皇が過度に尊重された結果、これを軍人精神の中心に取り入れ、天皇制という網をかぶせて、人間としての自由な判断を禁じたのである。そのような軍隊は、まだ近代的な発展を遂げていない、封建的な時代の姿を呈している。

私は「静かなドン」というロシアの長編小説を読んで、第一次世界大戦時代のコサックたちの、あまりにも自由な発想に驚いた。ドン・コサックの一部には、かつてツアーリに従った思い出はあっても、労働兵として赤軍に走って分裂をいとわなかった自由な人間の生き方が光っている。

最近の田母神空僚長の、日本の侵略を正当化しようとする論文と、これを賞賛した人達の問題は、未だに防衛体の中に過去の歴史感が頑固に残っていることを物語っている。彼等は馬鹿な戦争に導いて国民を悲惨な結果に陥れた戦争の責任を未だに自覚していないのではないだろうか。過去の軍隊の罪の深さは計り知れないのに。

これは現在の教育の欠点にも表れているのではないか。学力の向上は必要だが、できるだけ偉大な自然に触れさせて、スポーツで身体を鍛え、命を大切にすることを中心にして、強い精神力を養うのが教育の第一義である。

そうした教育の大切さが忘れ去られ、家の中でテレビゲームばかりに熱中するような子供の風潮を作ったのは何処に原因があるのだろうか。

経済の発展はもちろん大切だが、そのために教育が阻害されては何にもならない。それと今、国力の中心となるべき農業の生産力はどんどん疲弊して、どうにもならない所にきている。

これは、長い間ある政党にばかり政権を託してきた結果にも責任がある。政治の欠陥は国民の重大な責任でもある。